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山沢 滋による最近のブログ記事

今回のユーロ危機について、可能性としての問題点や対策について詳細に記載している文献等は多々見る機会は多いと思いますが、シンプルなまでに問題点をつきつめて得られる本質的な問題について書かれているものは見たことがありません。

様々な意見があるとは思いますが、私としては、全ての社会的問題は、以下の事に起因していると思っております。

(1)IT化、FA化等による人の仕事の減少

(2)政策のグローバリゼーション化の必要性

(経済のグローバリゼーション化により政策のグローバリゼーションが不可避となってくる)

尚、日本の困窮化の理由として、老齢化社会の到来 及び 新興国との所得格差が是正されているといった2点も加わりますが、前者は特に日本固有の問題(日本が最初に直面するという意味です)であり、後者は当然是正されるべきものであるため、解消可能な(解消すべき)問題点ではないので省略します。 

 

 

(1)IT化、FA化等による人の仕事の減少

・ITとFA化に見られる省人化により、価値を生み出せる人間が減少しています。IT/FA化等が進んでも影響を受けない仕事をしている者と資本家だけは生み出す価値(のポテンシャル)を維持することができます。しかしながら、IT/FA化等により仕事を奪われた者に対し、社会は新産業を提供することが出来ないため、他に新たに価値を生み出す仕事を生み出すことが出来ず、自ずとその者の所得は減少し、よって社会全体の総需要は減少してしまいます。

(尚、仕事を奪われた者が、仮に何かの職についたとしても、それは他の者の仕事を奪ったにすぎず、社会全体としては新しい価値はほとんど創造されていないと考えてべきだろう。)

これを解消するには、この現実を認め、資本主義を「社会主義化」した新社会資本主義となり、生活保護を、今までのような超例外的な措置ではなく、所得の再分配をなす根幹をなす制度とする必要があると思います(以前に書いた本ブログの「20100907合理化社会の行く末」を参照してください)。

ただ、この前提として、最低賃金法をなくし、たとえ時給100円でも働けるようにするとともに、働いた金額が多ければ多い程、豊かな暮らしが出来る生活保護制度の確立することが必要となります。

前者について、時給100円かどうかは別として、最低賃金が撤廃されれば、今までは成り立たなかったような新しい仕事が大きく創出されるはずだからです(例えばハウスキーピングなんてのははるかに普及してゆくことでしょう)。また、やらせる仕事がないからといって、価値を全く生じないような 道路を掘り返しては埋めるような仕事は、仕事とは言えない為、ちゃんと失業させ、時給100円でも働いてもらい、社会貢献し、きちんと胸を張って生活保護を受けるようなことも必要だと思います。

こうしたことが実行されれば、未就労者も激減し、労働集約産業においても他国との価格競争力もつき、日本に限らず世界はより豊かになってゆくはずです。

(ちなみにこの豊かになったことによる税額増加分を、財政赤字を埋めた後は、産業廃棄物処理等に民間・国家の両社で負担し、次世代にこの負債をたらい回しにしないようにしてもらいたいものです。

 

(2)政策のグローバリゼーションが必要となっている

現在のユーロ圏を見ると分かりやすいのですが、金融制裁はユーロ全体で行いながら、政策(財政支出等)は国別に行われているため、ユーロ圏の国別に財政収支が全く異なる状況になってしまっています。

同じ話で、経済のグローバリゼーションがこれだけ進み、価値の編在が大きく生じていいる場合においては、上位概念のものが各種調整を行う必要があります。

例えば、米国の超富裕層の税率は、米国の平均的な家庭主への税率より低いそうです。これは、超富裕層の所得は、配当やキャピタルゲインによるものであり、極めて税率が低いにもかかわらず、給与所得等の労働所得は税率が高いことによるものです。

そうであれば、配当やキャピタルゲインへの税率を上げればいいんじゃないか・・・と思われるでしょうが、もし、これらの税率を上げると超富裕層は、超低税率国での課税となるように場合によっては、移住すらしてしまい、税率を上げた国の税収は更に減っていってしまうので、安易に増税は出来ないのです。

よって、国の上位概念の組織?が、世界全体の視点で各国の税制をコントロールする必要が本来あるのです。

ただ、政策のグローバリゼーションが出来ないからといっても、現実の世界はそれを、今回のユーロショックのように断続的に求めてくることでしょう。神が人類に対し最後に果たした試練である、多種の言語が存在するといった事実 及び 価値観の違い(特に中国は経済的には豊かになったと思いますが、倫理観等の醸成については数十年の年月が必要かと・・・) といった点を克服するためには、人類3世代程度の時間は必要なのではないでしょうか??

 

いずれにせよ、これらの変革は、人類史上最も困難なものとなるため、これらの事項が解消されない相当長期間にわたり、変革を促す痛みを相当な頻度で世界に対し与え続けることが予想されます。

 

 

 

 

ユーロ危機

2011年09月29日

ユーロ危機が新聞を賑わせております。

基本的に、貿易収支の状況に応じて、為替レートが変動し、貿易収支が赤字(黒字)の国は基本的に為替安(為替高)となり、国際競争力が高く(低く)なり、よって貿易収支がゼロに近づくといったような調整を行います。

しなしながら、ユーロ通貨においては、このような基本的な機能を国単位では持たないといった致命的欠陥を有している制度であります。よって、ドイツのようにユーロ安により栄えた国が国力の弱い国に資金を臨時的ではなく恒常的に還元する仕組みが不可欠となります。現在の議論によると臨時的対処についてのみしか議論されてなく、恒常的に資金を流し続ける仕組みがされていない以上、付け焼刃の対処と言わざるを得ず、ユーロ問題は雪だるま式に膨らみながら先送りされることでしょう。

さて、今回のギリシアにせよ、日本のバブル、サブプライムといった何の新たな価値の創出を行っていないにもかかわらず、消費を先行させてしまった場合、そのツケは必ず返済しなければなりません。このツケの支払というのは、極めて大変な事です。個人が1億円遊んで使うのは簡単ですが、1億円貯めるのは使うことの無限大の大変さです。生活費等の固定費を支払った後でしか貯金できないため、貯めるといったことは想像を絶する程大変なことです。

ただ、もし世の中から一瞬で、実物資産以外は、ゼロにするとしたらどうでしょうか?

負債というのは、実物上のものでないため、世の中から債務が全てなくなるのです(もちろん現金もなくなります)。よって、少なくとも債務超過の人はどこにもいなくなるのです。よって、当たり前ですが、世界ベースで総合算した場合、必ず資産超過状態となります。

にもかかわらず、各国が大きな財政赤字を抱えているということは、(実物財産があるため)個人が保有する資産の総合計額は、当該赤字金額超の資産を持っているということであり、財政赤字が膨らみ続けているということは、全個人合計財産は同額以上膨らみ続けているということなのです(個人を法人が所有することはあり得ないため、法人財産は最終的に個人に帰属し、よって、法人財産は個人財産と考えます)

こういった事実にもかかわらず、大多数の者は純資産ゼロか債務超過となっているのですから、ほんの一部の超富裕者と新興国の貧民層に世界各国の財政赤字と同額の財産が流れ込んでいるのです。

新興国の貧民層への資産の流れ込みは当然の流れですから、問題は超富裕層への更なる財産の流れ込みとなります。これを是正するといっても、超富裕層による自主的な還元である寄付しか再分配する方法が無いため、強制的に是正するとなると税金しかありません。

実現は不可能とは思いますが、超超富裕層(資産100億円以上とか?)に対して、累進課税ベースでの財産税を賦課する or 相続財産の増税といったことが本当は必要なのでしょう。

現状の税制ですと、たかだか1800万円の所得で上限税率に達してしまい、相続財産も3億円程度で上限税率に達してしまいますが、所得税は500億円超までの累進課税(含むキャピタルゲイン)、相続財産も数兆円レベルまでの累進課税にすべきなのだと思います。

なぜなら、所得1800万円で財産3億円の人にとっての100万円と、所得1000億円財産5兆円の人にとっての100万円の価値は全く異なるからです。前者の者にとって100万円は、実際により幸せに貢献するはずですが、後者の者にとって、仮に2兆円財産が減ったり所得が500億円減っても実生活は何ら変わらないからです(多分・・)

ただ、程度は別として、こうした施策をとるには、全世界各国が協調して、税制の調整を行い、逃げ場ないようにせざるを得ません。

金融の国境を超えた連鎖や、税制の共通化に近いような調整をしなければならないということを考えると、国連がこのような事項について主体的権限を保有する必要性が高まっています。ただ、そんな事はありえない為、日本や米国のように債務を雪だるま式に膨らませていって、極端に膨らませた風船が破裂し世界が一度リセットされる道のりを歩き続けるのでしょう。

約1か月前、このブログにおいて日本の個人金融純資産約900兆円から日本の政府の純債務約750兆円を差し引くと、150兆円しか余裕しかなく、2010年の国債発行額約40兆円で割ると、あと3〜4年しか国債を国内で消化できないといった危機的状況にあると書きました。

この話を友人等としていると、「日本人ってそのまま放置するほどバカかなー?」とか「でも、なんとかなるんじゃない?」といった根拠なき楽観論を仰る方が余りにも多いので驚いています。

ここでなんで、私がこれほど危機的及び悲観的に思っているか理由を書いてみたいと思います。

1.政府の債務がGDPの2倍と、信じられないくらい多い(一人平均750万円の借金で、1家族平均3人と仮に仮定すると1家族2250万円もの借金がある状態で、この金額は毎年増え続け、かつ、少子化のため、お金を稼ぐ者一人当たりの借金は更にが増加中・・・悲)。

2.未だに地方において特に日本全体の視点で政治家を選ばず、自分の目の前にお金や橋や駅や助成金・・・を持ってきてくれるような自分(達)になにをしてくれるのかといった視点で政治家を選ぶ傾向がある。

と、ここまではありきたりな話だと思います。

 

特に意識が薄く、かつ、非常に重要な点として皆さんに意識してもらいたいのは、以下の点です。

3.借りている金額は、その金額の何倍も実際は多額である。

これは何かというと、赤字国債による公共投資(財政支出)は、その金額以上に極めて大きい有効需要を生み出します。その反面、財政緊縮により成し遂げる財政黒字化により、赤字国債を圧縮しようとすると、その支出圧縮額以上に極めて大きく有効需要を減らしてしまうといったことです。

分かり難い説明だと思いますので、簡単な例で書いてみると・・(貯蓄率10%と海外流出分が仮に40%の場合)

10億円赤字国債を発行し、10億円で橋を建設→その下請け、経営者/従業員等の所得が6億円増加→所得が増えた個人や法人が更に消費又は投資で5.4億円支出→これに伴い、また経営者/従業員等の所得が3.24億円増加→また個人や法人が消費や投資で2.9憶円支出→・・・

といった効果だけで、(10億円+5.4億円+3.2億円+・・・)といった凄まじい投資・所得・GDPの増加を行うだけでなく、これらの所得増加による税収増加(仮に9億円としましょう)があり、結果として財政赤字の増加額は、10億円から9億円を引いた、たった1億円だけで、何十倍?ものGDP増加効果を及ぼすのです。(実際には原油等の海外への支出分については効果は減額します)

このロジックは、財政支出を減らした際には、全く逆に作用します。また、例で書いてみると・・

公共投資を10億円削減→今まで受け取っていた経営者/従業員等の所得が6億円減少→所得が減った個人や法人が更に消費や投資を5.4億円減額→これに伴い、また経営者/従業員等の所得が3.24億円減少→また個人や法人が消費や投資の支出を2.9憶円減少→・・・

といった効果だけで、(10億円+5.4億円+2.9億円+・・・)といった凄まじい投資・所得・GDPの減少を行うだけでなく、これらの所得増減少による税収減少(仮に9億円としましょう)があり、結果として財政支出の減少額は、10億円から9億円を引いた、たった1億円の国の借金を減らすために、何十億円ものGDP減少効果を及ぼすのです。

このような事を理解すると、GDPの2倍の借入を、少子高齢化といった動かしようもないハンディキャップを背負った日本を返済してゆくことが極めて難しいことを理解してもらえると思います。

過去、今と異なり、日本の役人が素晴らしき戦後復興期、そして高度成長を導き、とても貢献した時期もあったといったことが良く言われます。私からすれば、前述の効果から、皆さんが認識している以上の何倍もの大きな金額を将来から先取りしていた部分(財政赤字による需要創出分)が相当占められており、かつ、その使用先が、極めて価値のない事(道路を年末に掘り起こしては埋めるとか・・不効率な役所の役員とか・・)に相当程度使われていったことです。そう考えれば、何十年も前において、赤字国債で財政支出を行えば、お金をどぶに捨ててても結構豊かな国になれた訳です。ただ、これは、こうしたロジックを認識せずに、「政治家や役人が、公共投資等で豊かにしてくれて有難う!これからもそういった政治家を選ぼう!」といった国民に問題があったのは否めないとは思います。

今更、過去についてどうこうすることも出来ないのは当たり前で、出来ることは将来への行動です。

そうなったらなったで何とか人や国家がしてくれるだろう・・などと、国に依存するのではなく、仮に国家が財政破綻しても大丈夫な状況にしておくべきであります。

国家の財政破綻に対応するには、どうしたら良いのか?

これは非常に難しい事ですが、一つ言えることは財政破綻後において、外国資本が更に日本に入り込んでくるでしょうし、また、そうせざるを得なくなるはずです。よって、日本は更なる国際化に対応せざるを得ないのでしょう。そうした際においても、ある程度の収入を労働力で得れるようにしておく必要があるということなのでしょう・・。

また、前回も書きましたが、円の価値が暴落し、相対的に外貨及び海外資産の価格が上昇擦れるのであれば、円で借入を行い、外貨や海外資産を保有することは、とても良い対処方法となります。丁度、これと同じことが出来るのが、FX取引となります。しかも、レバレッジをかけられるため、保有財産以上にポジションを組むことができます。ただ、これを行われる場合、以前はレバレッジ200倍、現在でも50倍のレバレッジを組むことが出来ますが、私としては4倍から5倍程度のレバレッジに抑えられることをおすすめします。マーケットの乱高下に高いレバレッジだと耐えられず、将来の大きな利益を生む前にFX用に入金した金額が全額なくなること請け合いです。

対象としては、前回と同様のお話となりますが、豪ドルあたりがいいのではないでしょうか?なぜなら、政治、経済の安定、資源国であるといった以外に、今後、日本の金利が高くなった際においても、豪との金利差の逆転まで余裕があるため、金利差を支払がなかなか生じず、現時点では高いスワップ金利を受け取れるといったことです。

ただ、今すぐ投資することはお勧めしません。震災後、豪ドルが急騰してしまったからです。私見ですが、相場はありうべき方向に素直に進むのではなく、真逆に大きく振れることがあり、あと数年の猶予がある?とすれば、少なくとも1度は大きな円高局面を迎えることがあるのではないかと思っています。よって、そのチャンス時にFXで豪ドルを取得すれば良いのではないかと思いますし、実際にその予定でいます。

いざその際に対応できるように口座を開設しておくことはもちろんですが、ちゃんと練習も行っておきましょう。事前に取引の練習を行い感覚をつかんでおかないと、いざという時に、大きく投資することはできません。

 

 

最後にもう日本はダメかと言うと、以下に挙げるようなドラスティックな施策を同時に多数執り行なえる位おこなわなければなんとかなるのではないかもしれませんが、果たしで出来るかというと・・?

・公務員の給与平均でも3割減(ポジションによるメリハリが必要)

・最低賃金の撤廃により低賃金労働力の提供(これで労働力の国際競争力がでる+未就労者の減少による財政負担の減少) ただ、貧富の差は大幅に拡大します。

・緊縮財政により浮いた金額で国策による特定事業分野の強化(国際競争力の創出)

震災前だと、真っ先に原子力発電と挙げたのですが・・・。

・新興国等に広大な敷地に大規模な老人ホームを設立し現地人による低コストの介護体制の確立(老齢化社会への対応&現地雇用創出になるといったことでODA費削減&介護している者が外で働けるようになることで新規労働力の創出)

これについては、異論のある方も多いと思いますが、それだけ老齢化社会のコストは、若い労働者にかつて経験した事のない程の極めて重い負担をさせてしまうことになるため、これに対し経済的にも整合性を有する何らかのプランが不可欠となってゆくはずです。

 

 

 

 


 

日本の財政破綻

2011年03月14日

東北地方太平洋沖地震の被災地の方々に対し、心よりお見舞いを申し上げます。

一人でも多くの方の命が救われることを祈っております。

事前に津波対策等の2次災害への対策を行っていたにもかかわらず、想定規模異常の震災となり、想像を絶するような状況に見舞われて、更には衣食住においても大変な状況にあるとのこと、一日も早く少しでも安らげる環境になって欲しいものです。

さて、致し方がないことですが、今回の震災に関する復興・生活保護、そして電力不足により経済停滞、税収減、そして日本にとって数少ない海外へのビジネスチャンスを有していた原子力発電事業(海外輸出)を事実上失ったことにより、日本の財政危機は更に時計の針を進めてしまうことになってしまいました。

ご存知の通り日本の公的債務 (国・地方を含む)、約860兆円から政府の資産として考えてよい対外証券資産約110兆円を引くと純債務は約750兆円となります。その一方で、日本の個人金融資産は約1400兆円と言われていますが、ここから個人負債と、すでに別の金融資産に投資をしているため国債購入には回らないと考えられる株式/社債への出資を差し引くと、約900兆円が国債購入の原資と考えることができます。
よって、この約900兆円から、政府の純債務約750兆円を差し引くと、150兆円しか余裕はありません。
2010年の国債発行額約40兆円で割ると、あと3〜4年しか国債を国内で消化できないことになります。
これにより、未消化の国債は最終的に日銀が引き受け、ハイパーインフレをおこすと言われています。

要は国の借金と個人の資産を貨幣価値を暴落させて両方で相殺するといったシナリオです。そんな事起こる訳がないと思っても、日本の財政収支を黒にすることは、日本の政治家・国民に出来ることは、今までの経緯を見るととても出来るとは思えないため、遅かれ早かれ必ずやってくる事実として認め、そして本格的に準備する時期にやってきたと思っております。

みんなが(聞きかじりではなく)本当に認識した時においては、もう遅いということになってしまいます。

具体的には、日本のインフレに影響を受けない資産(金、商品先物、外国通貨等)に資産を移行させた方が良いと思います。日本の土地、株式については、インフレに対してはニュートラルではあるものの、日本のハイパーインフレに伴う経済停滞に伴う下落が予想されるため、日本の円よりましなものの先に挙げた資産の方が好ましいと思います。

ここで、資産がない!と仰る方については、FXで外貨/円(円売り、外貨買い)を 運用狙いという訳ではなく、円リスクヘッジとしてポジションを組まれることをお勧めします。ただ、その際においては、建玉ベースで保有外貨金額をきちんと把握してポジションを持ってください(=最大レバレッジなんてかけてポジション組むと、たった数日で入金した金額ふっとんでしまいますよ!)。

(個人的には豪ドルの買いだと思いますが、皆さんそれぞれ考えてみてください。)

会計事務所として、ここまで踏み込むで発言することはリスクがあるのですが、もし、私の思っていた通りになって、事前に誰も救えなかったとしたらとても後悔すると思い、今回このような危機感を煽るようなブログとなってしまいました。

アダムスミスの見えざる手などの市場原理主義者が主張する小さい政府(グリーンスパン元FRB議長や共和党なども支持)といった考え方、片やケインズ経済学に基づくニューディール政策に代表される公共投資による有効需要喚起に基づく経済政策運営(=大きい政府)といった考え方があります。

はたしてどちらが良いのでしょうか?(後述しますが、企業運営にも相通じるものがありますので是非この先も読んでみてください)

ミクロ経済学において、公共の橋の理論??といった理論??があります。これは、個人一人一人にたってみると橋が出来たことによる効用はちょっとだけど、一人で橋を渡すと凄まじいコストがかかるため、個々人に意思決定させると当然橋など作る人はいない。しかしながら、みんなで橋を作成すると、一人当たりのコストは劇的に下がり、一人当たりの効用が上回れば橋を作成することが出来るといったことです。何を言いたいかというと、少なくとも政府はこのような事を見つけ、取りまとめる事は経済学上においても行う正当性があるということです。逆に言えば、そういった事以外は、政府は行うべきことではないと思います。

ここで小さい政府とする時に一つ条件があります。それは、個々人が意思決定した結果が、正しい意思決定となるようにルールをつくり、人々を導く必要があります。例えば犯罪をしてはいけない なんてことは当り前ですが、物を製造する際に今現在かかっているコストの他に、将来自然に回帰させるためのコストも賦課させ、地球を消費させないといったことも入ると思います。

(後者の話迄、一般的には議論されていないと思いますが、将来(目の前にはいないのですが)誰かが必ずその報いを受けるのが明確に分かっているのであれば、ゴミを単に埋めるなどといったことを続けているのは可笑しいですよね・・。丁度、年金が訳分からない状態で先送りしていた旧厚生省の事務次官のようなもんですね。)

ちょっと、話がづれてしまいましたが、企業運営する際に人を育てる為には、権限と責任を与えなければなりませんが、単に渡すのではなく、正しい意思決定ができるようにルールや一定の行動等にコストを賦課させ、その範囲内で意思決定した事が、正しい意思決定となるように、きちんとしたバックボーンの確立を行う責任が経営者にはあると思います。(←これを言いたかったのです・・汗)

人の生死に関するリスクを書くのもどうかなー?などと思いましたが、大切なことなのでこの生死のリスクを書いてみたいと思います。

では、早速ですが、標題の通り、経済的に人の生死に関するリスクは以下の2つとなります。

(1)死亡リスク

ある方が死んでしまい、経済的に困った状況になること

(通常は、家計の大黒柱である夫が亡くなってしまい、家族が経済的に困窮することを指します)

(2)生存リスク

ある方が長生きしてしまい、経済的に困った状況になること

(通常は、本人の収入より本人の生活費が上回ってしまい、本人及びその家族の生活が経済的に困窮することを指します)

 

(1)死亡リスクは皆さん認識してちゃんと保険入っているのですが、問題は(2)生存リスクです。

「どうせ死ぬからいいんだ・・」&「人生なんとかなる」なんて考えちゃいけないのではないでしょうか?で、対策としては、短く生きた場合は少なく、長く生きた場合は一杯貰えるものが最も生存リスクを低くしてくれるのですが、そんないいもの早々ないです。生命保険会社でさえ、年金の支給期間を10年等と上限を設けていて、全く生存リスクに沿ったものではありません。

では、どんなものがあるかと言うと、残念ながらこの引き受けリスクは高すぎるみたいで、以下の公的制度しかありません(嘘言ってたらすみません。是非教えてくださいm(_ _)m)。

・国民年金の方は、必ず国民年金基金に加入する。早く死んだらちょっとしか貰えず、どんなに長生きしてもずっと貰え続けられる! 究極の生存リスク対策となります。

・厚生年金基金への加入 でも・・自分でコントロールできませんね・・。退職し国民年金に移行される方は必ず解約せずに眠らせておきましょう。

 

ということで、万一、国民年金だけの方がいらっしゃられたら、是非とも国民年金基金には御加入してみてくださいね!

考える視点

2010年10月02日

会社経営の意思決定を行う際に、考える視点により判断結果は当然全く異なるものになります。

この考える視点が、特にこの5年劇的に変化していると思っています。

戦後から1990年のバブル迄の45年にもわたる期間においては、基本的には日本の経済は右肩上がりであったため、自分の足元だけ見て、日本経済の成長と伴に歩めれば良かったのです。こうしたことから、考える視点は、非常に低い視点で目の前のことだけ考えれば良かったのです。

1990年からは、日本経済は右肩下がりとなり、自分の足元を見て日本経済と伴に歩むことは右肩下がりになってしまいます。当時の日本経済はもちろん世界は、世界における唯一の大国ともなったアメリカに依存していたため、NYダウが高値をつけた2007年10月迄はアメリカ経済と足元の日本経済を見て経営すれば良かったとも言えます。こういった意味で、戦後成長時代よりは高く、中間的な高さの視点で物事を考えれば良かった時代とも言えると思います。

NYダウが高値をつけた2007年10月以降は、アメリカの経済力の低下とともに中国等の新興国を中心に全世界の経済状況の重要性が高まってきています。今後さらにこの傾向が強くなってゆくことは間違いないため、2007/10月以降については、全世界の状況を視野にいれた意思決定が求められます。ある意味、過去にない程、高い視点でも(=もちろん足元の日本を見る視点も重要です)物事を考える必要が出てきたと言えるのです。

ここまで書いたことは単に「グローバリゼーション化が進んでいる以上、海外の動向を考慮するのは当たり前だろ!」といったご意見もあると思います。全くその通りではあるのですが、指をくわえてみているのではあく、足元を見て行う行動を、ほんのちょっと少なくすし(=これは実際の利益を減らしてしまうのでしょう・・)、グローバリゼーション化にちょっとでも良く対応できるためのほんのちょっとの行動(これは実際の利益は生まないでしょう)を優先させるべきなのではないでしょうか?目先の利益をギブアップすることも重要なのではないかと思います。

この日本の内需系の中小企業においてグローバリゼーション化への対応といっても何が出来るのか?といったご疑問を持たれるとも思います。特に変化の激しい新興国を中心の経済環境の変化について積極的に経済記事やWEBで情報を集めたり、旅行に行ったり、語学を勉強し出したりといったこととか、貨幣価値が将来減らないと思われる国の通貨をFXで買って自分の財産を日本の円リスクから解放するとか、確かに限定的ではあるのでしょうが、出来ることもあると思います。

こんなことを書いている私も思いっきり内需系なので、行えることは極めて限定的なのですが、色々と模索してゆきたいと思っていますので、皆さん頑張りましょう!

 

 

 

 

合理化社会の行く末

2010年09月07日

コンピュタ―・ロボット化社会を前にして、約5年前位から以下の疑問が浮かぶようになりました。

「どんどんコンピューターやロボット等が進化し、仕事がない人が増加していくと、その人々はどのように生きてゆく(=お金を稼いでゆく)のだろう・・・?」

物事を極端に考えると分かり易いので、私の場合、必ず極端な状況を想定してみます。

例えば、人間と同レベル近いAIをもったロボットが開発されたとすれば、ロボット自体の開発以外の全ての仕事(肉体的だけでなく知識産業も含む)はなくなり、資本だけが代替のきかない価値を創造するものとなるのです。でも、資本家は少数であり、需要(=消費)を行う一般大衆は所得がないため、結局、資本家も最後には死滅してしまいます。

私の行っている業務の一つの税務申告業務等は、ソフト化に馴染み、まさに業務縮小の予兆を感じていたため、このような疑問が比較的早く思い浮かんでいたのです。

これに対する自分なりの答えが、最近やっと固まってきました。

一品270円均一居酒屋に見られる飲食業界での弱肉強食社会について、テレビでも取り上げられ、弱者がだんだんと増えていることは周知のことだと思います。これも前述のコンピュータ化・ロボット化と同一のベクトルのものであり、結局は合理化により、同じ仕事(又はアウトプット)を行うのに、少人数で済んでしまい、残りの人間は仕事がなくなるといったことです。

現在、仮に敗者と勝者の比率が、9:1だとします。合理化が進むと、敗者の数が増え、それに伴いマーケットがより小さくなります。これに伴い、今まで勝者の中にはいたが、勝者としては一番弱いものが敗者になります。そうすると、またマーケットが縮小し・・・・。

こうなるとどんどん勝者の比率が永遠に小さくなってゆくはずです。

ところで、世の中、勝者は敗者より社会的力が強いのは事実だと思います。

ですので、敗者:勝者の比率が9:1でも勝者は敗者の抑えが効きます。

ところが、先述のように、敗者:勝者の比率が95:5 更には99:1になったらどうでしょうか?

いずれは、敗者の力が勝者の力を上回る日がやってくるはずです。

この場合どうなるか?ワークシェアリングを社会上の仕組みで強制的に行ったたり、セーフティーネットの強化、所得再配分の強化といった過程を得ながら、最終的には社会主義に戻らざるを得ないのではないでしょうか?

皮肉にも 社会主義→資本主義となっている世の中が社会主義に逆行する可能性が高いのではないかと考えます。

ただ、こうした移行フェーズは、日本単独ではおこりません。仮に日本で先行してこのようなことが起こる予兆が出ると、資本家は移行しなさそうな国に財産をもって逃避してゆきます。

そうすることも各国は出来ずに、結局、真綿で首を絞めるように、各国が同じレベルで移行してゆくのではないでしょうか?

では、いつそのようになるのか?? きっと、日本の財政破たんのようにぎりぎりまで、大きく動かずに一気に移行してゆくのでしょう・・・。ですので、今はうっすらと予感がある程度と思われるでしょうが、驚くほど早くその時がやってくるのではないかと思います。(ただ、救いは新興国が経済水準が極めて低いため、これが先進国に追いついてから本格的にこういった論点が浮かび上がってくるものと思います。)

最後に・・・、誤解しないで欲しいのですが、私自身は投資資本理論が最も得意であり、そうした効用をとても受けている方だと思いますので、極力資本主義が続いて欲しいと思っております。

 

 

 

 

ダーウィンの進化論

2010年07月20日

ダーウィンの進化論において適者生存といった概念が示されています。

読んだ字の如く、適者のみが生存するといった意味なのですが、この裏の意味として、最強のものが生き残るのではなく、環境に適合したもののみが生き残るといったことであるとダーウィンは言っています。この適者生存の概念は、まさに企業経営においても適合する言葉であると思います。

企業が目指すのは、最強になるのではなく、生存することがなによりも重要であり、最強を目指すとすれば、最強が生存確率を高めるためだけに意義があるからだと思います。環境への適合力を埋め込まないまま最強を目指し組織が巨大化した場合、その巨大化故に環境への適合力が低く、よって生存出来ないといったことは十分にあり得ることなのです。

「企業30年説」いった言葉があると思いますが、どんなに成功した企業であっても、その多くが潰れてきたのは、成功に慢心し、環境への適合を怠った経営者が経営を引き継いでしまうことがあるからなのではないかとも考えることが出来るのではないでしょうか?

 

近年の経済環境の変化のスピードは、人類史上最速であると言っても良いと思います。

今後についてもインターネット革命により情報の位置付けと重要性が根本的に変わり、新興国の台頭により富の再分配が急速に進み、これに伴う世界レベルでの経済規模の急速な拡大、人類が経験したことのない老齢化社会への突入・・・等今まで以上のスピードでの変化が待ち受けていることは間違いないことでしょう。

 

こうしたことを考えれば、企業として最優先すべきは、皆さんが思っている以上に環境への適合力を企業に備えさせ、その範囲内で成長を目指すべきではないかと思います。

更に言えば、環境への適合力を備えていない場合は、規模拡大のチャンスが巡ってきたとしても成長を控えることも場合によっては必要な時代になってきているのかもしれません。

IFRS

2010年06月04日

最近、IFRSの記事を良くみかけるようになってきました。

私自身は公認会計士ではあるのですが、会計基準自体に本当は興味ありません。実態は一つなのですから、それをどう表現したかだけの話で重要性がないからです。

ただ、実態を把握するために会計数値は必要ですので、そうはいっても利用はします。利用するに際し、会計数値は意味のあるものでないといけません。今までの会計数値は、そういった意味においてとても不完全なものでした。ですので、会社の実態を把握する時に、適切な資料があれば修正して利用したりします。

このIFRS今までの会計基準に比べ良くなると思いますが、まだ不十分なものであると思います。

会計基準は、本来どうあるべきかといった判断基準としては、あくまでも投資家が株主資本価値を算定するためのデータを提供すべきか否かの1点であると思います。株主価値の算定というと堅苦しいのですが、要は会社の実態をより提供するべきであるといったことです。

具体的には、会社の将来に向かっての経常的な利益獲得能力の提示、該当期間に稼ぎ出した本当の利益、そして会社の保有する本当の財政状況(=貸借対照表)が会社を評価する際に必要なデータとなります。

今までの会計基準においては、大きく2つの問題がありました。まず、(1)会社の経常的な利益獲得能力を示していない。具体的には連結ベースでの経常利益は子会社における少数株主持分の損益が紛れ込んでおり、指標とならなりません。単体決算は、当然対象会社の子会社の利益の持分相当分が反映しないため論外です。(2)次に対象会社の保有する資産・負債の時価変動部分の損益が反映されていないことです。経営者は、当然保有資産の時価ベースでの価値のマネジメント責任があるため当然時価変動損益は含めて評価されなければなりません。(=だって、例えば土地を取得し、その土地を使って利益を出しても、土地価格が同額下がったら、何も価値を生み出してないのですから、そういったことも考えて経営者は行動すべきですよね!)

コーポレートファイナンス上も会社の評価指標は全て時価ですので、以前から会計は全面的に時価導入すべきと思っておりましたので、IFRSの時価導入はとても正しい道ということです。

ただ! 経常的損益を示す段階利益表示がないことは理解し難いものです。現在でも大問題である少数株主持分の取り扱いがそのままの上、経常利益表示がなくなり、営業利益の前に特別損益までも含められたら、営業利益は単に今期稼いだ本業の利益といった意味のみを示すだけになってしまうからです。何を言っているかというと、ここで表記される営業利益は単なる過去の数値であり、過去は会社への投資判断上全く関係なく、重要なのは将来稼ぐであろう営業利益の期待値を表示すべきであるからです。過去で重要なのは現在保有する財政状態(=B/S)だけなのですから・・・。(なぜ、時価ベースでの貸借対照表が重要かというと、保有する資産・負債から利益の獲得能力を推察できるor稼いだ利益の多寡を判断できるand業績悪くなった場合の耐久力や清算時の配当額の指標になるからです。)

個人的意見としては、営業利益の前にやはり経常的利益(ここでの経常的利益は今までの経常利益ではなく、営業利益から特別損益を除いた損益といった意味です)は残し、少数株主持分損益も経常的利益と特別損益と法人税等の3区分にしてそれぞれの段階利益に反映すべきであろうと思います。

いずれにせよ、会計基準の方針自体は経営者や公認会計士等が携わるものではなく、投資家(=投資家の代弁者として証券アナリストや企業評価を行なう者達)によって導かれるべきなのではないかと思います。

 

 

 

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